EnRich合同会社 中川 瑛三について

H25年3月京都大学医学部保健学科作業療法学専攻卒
H25年4月~医療法人家森クリニックに作業療法士として勤務
H27年6月~
R3年3月
亀岡市教育委員会管轄療育事業「ほっかほか教室」に専門家として派遣
R2年1月~
R3年12月
京都府作業療法士会 地域貢献局 事業推進部 特別支援教育OTチーム委員長として従事

所属

日本作業療法士協会
京都府作業療法士会 地域貢献局 事業推進部 子どもサポートOTチーム委員
大阪府作業療法士会 こども発達サポートチーム委員
日本感覚統合学会
LD学会

委嘱
京都府幼児架け橋期コーディネーター

学会発表

日本感覚統合学会

H26「学習の困難さに感覚統合評価が有効であった事例」
H27「感覚統合理論を用いた漢字書字への評価・介入」
H28「読み書きが苦手な児童に感覚統合の視点が有効であった事例」

日本LD学会

H27 自主シンポジウム「書字困難へのアプローチ」
H28 自主シンポジウム「書字困難へのアプローチ第2報」
H29 自主シンポジウム「書字困難へのアプローチ第3報」
H30 自主シンポジウム「書字困難へのアプローチ第4報」

日本発達系作業療法学会

R1 「感覚統合療法とフラッシュカードにより読みが向上した事例」

EnRich合同会社では、親の会などの保護者様、保育園・幼稚園や小中学校の先生方、つどいの広場、児童発達支援事業所などの支援者の方々を対象に研修講師の派遣や研修会の企画をおこなっております。

発達障害児専門の医療機関で10年間の支援経験をもち、日本感覚統合学会の認定セラピストの資格を持つ作業療法士が講師を務めます。

はじめまして。EnRich合同会社の代表 中川 瑛三です。

私たちは、発達障害をはじめとする多様な特性や背景を持つ子どもたちが、安心して成長できる環境を整えたいという想いから、この施設を立ち上げました。

子どもの健やかな成長のためには3つの発達が必要だと考えています。

一つ目は、運動やコミュニケーションなど本人の「できること」が増える能力の発達。
二つ目は、家族や友達・先生など人との関わりを通じ、社会の中での役割を獲得していく社会的発達。
そして最後は、新しいことや思い通りにならないことに出会っても「きっと大丈夫」「なんとかなる」「やってみよう」と感じられる心の発達です。

この3つの発達をしっかりと支えるためには、一事業所だけではなく関係機関と連携し、地域づくりをしていくことが必要だと考えています。

私がどんな経緯で、子どもの発達支援に取り組むようになったのか、そしてえんりっちが目指すものについて、少しお話させてください。

僕は4人兄弟の末っ子で、いちばん上の姉とは11歳も年が離れていました。年が離れている分、親というよりは“兄弟に育てられた”感覚が強かったように思います。

兄たちがやっていることはとても楽しそうでとても魅力的でした。

小さいながらに年上の兄にくっついて回り、何とか自分にもできないかといろいろとやっていたと思います。

近所の子どもたちも集まりながら公園で障害物走をしたり、稲刈り後の広い田んぼで野球をしたり、沢登りをして源泉を探しに行ったり、公園の砂場に落とし穴を作ってみたり、飽きることなく日が落ちるまで遊び続けていたと思います。飽きると誰かが新しい遊びを思いつき、また飽きるまで遊ぶことをくり返していました。

今のようにネットで調べることはできないので、自分たちで思いつくしかなかったですよね。

今思うと、このときの体験が今の発達支援の現場での遊びのひらめきにつながっています。
発達支援では自分に自信が持てず消極的なお子さんや、不登校などの理由で日中を家で過ごしているお子さんに出会ういます。
そんな時「もっと人生には、世界には楽しいことがいっぱいあるよ」という気持ちや「成功も失敗も気にならず、熱中できるものに出会ってほしい」という思いが沸きます。「環境が整えばもっと自分を楽しむチャンスがあるはずなのに」と残念に思いますし、「どうにかできないか?」と日々、解決策を考えています。

幼い頃から体を動かすことが好きだったので、サッカーや水泳を習い、小中学校では野球部に入っていました。高校ではひょんなことからラグビー部に入っていました。気の合う友達や仲間とやりたいことをやり抜く楽しさを感じられた経験でした。

しかし一方で、自分の中でやりたいと思えないものへうまく向き合えないという現実もありました。

学ぶことは好きですが、学校の勉強は何のためにするのかがわからず苦手でした。学校は友達と会って部活をするところみたいな認識だったと思います。

中学校までは友達たちもそんな感じでギャップは感じなかったのですが、たまたま担任の勧めで進学校を受験し、通うことに。そこでも気の合う友達ややりがいのある部活には出会えましたが、勉強を頑張る周囲とのギャップをすごく感じていました。

当然成績は良くないですし、学校主催の夏期講習などは自主休校して、宮部みゆき著の「模倣犯」を読破した記憶があります(めっちゃ大作なんです)。

自分の心の中の「楽しい」・「やりたい」でなんかうまくいっていない不全感をなんとか覆いつくそうとしていたように感じます。

なんとなく楽しいこともできることもいっぱいあるのに、何だろうこのモヤモヤ…と思い始めて、人の気持ちや心などに興味が出てきたのもこの時期のように思います。

高校での進路を決めるときも悩みました。目の前の楽しいことは追ってきましたが、将来などは考えたことがありませんでした。

そこで、母親が老人ホームで働いていたこともあり、「人と接する仕事」に漠然と魅力を感じていたんです。でも、高校生なりに調べると、福祉系の仕事は給与面などで不安もあって…。

そこで「医療系のリハビリ専門職なら、自分のやりたいことと将来の安定が両立できるかも」と考え、漠然と方向を定めました。

当然、勉強はあまりしていなかったので、最初は専門学校に行こうと思ったのですが、さすがは進学校ですね。担任と進路部長の説得があり、すぐに大学に軌道修正されました(笑)

でも、目的がはっきりしたことで勉強にも取り組めるようになりました。元々学ぶことは好きなので、目的が明確になり、やることが明確になると、受験勉強に熱中しました。

なんとか試験前の模試で国公立大学がC判定となり、進路部長との相談の上、京都大学を選択しました。

正直ギャンブルでしたが、保険を掛けつつ、受かったら話のネタになるかなと思って受験を決断しました。

作業療法学科に入学した当初、私は正直なところ「子どもの支援」というより、精神障害のある方のリハビリに興味がありました。

というのも、大学で作業療法について学び始めたころは、理学療法と作業療法の違いさえあまり分かっておらず、「精神障害にもアプローチできる作業療法なら、心理面の支援もできるかもしれない」という程度の認識だったからです。

ところが入学してすぐ、先輩から「子供と遊ぶキャンプがあるから、ちょっと行ってみいひん?」と誘われました。

私は「面白そう!」とその話に飛びつき参加しました。

そのキャンプは、社会人の作業療法士や作業療法士を目指す学生が一緒に感覚統合療法を学ぶ場でした。

京都大学の学生が中心となり、夏休み・冬休み・春休み・ゴールデンウィークなどの長期休暇に合わせて4日間ほどの泊まり込みキャンプを企画し、全国の大学や社会人から参加者を募っていたんです。

昼間は子どもたちと遊びながら、「どんな遊びならに子どもが熱中してくれるか」「そのためにはどんな感覚を取り入れることが必要なのか」などを遊びながら、観察・評価し、夜になると小西先生(当時、姫路獨協大学)の指導のもと、その日の振り返り、翌日のセッション計画を理論と照らし合わせながら検討する──このサイクルを学生時代ずっと続けました。

最初は子どもとの遊び方に戸惑ってばかりでしたが、先輩や先生のアドバイスのおかげで、少しずつ子どもたちの笑顔や「できた!」という達成感を感じられる場面に出会えるようになりました。

その瞬間の喜びは言葉にできないほど大きく、「子どもの発達支援はこんなに奥深くて楽しいんだ」と強く実感しました。

さらに、親御さんたちの強い想いを間近に感じられたのも大きな衝撃でした。

子どもたちの成長を本気で応援しながら、一緒にキャンプを盛り上げてくれる親御さんやスタッフたちを見て、「いつか自分もこういう場をつくって、もっと多くの子どもと家族を支えられるようになりたい」と思うようになりました。

この感覚統合キャンプでの体験が、私が“発達障害をもつ子ども”の領域に進む決定的な転機となり、その後の進路を大きく変えてくれたのです。

結果的に、私の作業療法士としての学びは「感覚統合」と「子どもの発達支援」を中心に深まっていきました。

大学4年生では2ヶ月間の病院実習があり、そこで改めて自分の適性を実感しました。

もともと精神障害のリハビリにも興味があったのですが、精神科のゆったりした雰囲気にいるとどうしても眠くなってしまうタイプだとわかったんです(笑)。

一方、子どもと遊ぶ現場は常に動きがあって展開も早く、性格的にもぴったり合っていると感じました。

さらに、子どもが成長して思春期に入っていく過程では、心の部分、心理的な発達が大きく影響を及ぼします。そういった“内面的な支援”への興味もあった私にとっては、まさに「やりがい」と「自分らしさ」が重なった領域だったんです。

実は、発達障害の領域は就職先がかなり限られています。

ちょうどその頃、前の職場である家森クリニックの立ち上げのお話があり、大学の先生に相談してみたところ、背中を押してもらったので「ゼロから作り上げるのも楽しそうだな」と思い飛び込むことにしたんです。

この決断が、私の作業療法士としてのキャリアを大きく方向づけることになったと思っています。

ベテランの先輩や心理職の先生、ドクター陣など、大変経験豊富な方々に囲まれながら、まだまだ未熟だった自分が多くを学べる環境でした。

医療的な知識や子どもの発達の奥深さなど、専門的な視点を日々教わりつつ、クリニックのメインのアプローチである作業療法と感覚統合療法を中心に経験を積ませてもらいました。

家森クリニックの立ち上げ当初から、学術的な研究にも力を入れることになりました。

当時はまだ、感覚統合と学習障害に関する論文やデータが十分に揃っておらず、「実際に感覚統合がどのように読字・書字や計算の力を伸ばすのか」を確かめることがクリニック全体としてのテーマとして挙がりました。

そこで、患者さんの協力を得ながら同僚達と、5年かけて感覚統合療法を実践、その効果を評価する研究を進めました。

一方で、日々の療育や研修会への参加を通じて、子どもたちができることを増やし、可能性を広げられる瞬間にも数多く立ち会うことができました。

ただ、その中で最も難しいと感じたのは、不登校や家族機能の途切れなど“環境面が整わない”ケースです。

子どもが成長するためには、家庭や学校といった周囲の環境が大きく影響します。

ところが、病院勤務だと親御さんを通して支援することはできても、家庭環境そのものに踏み込んでサポートするのがなかなか難しいと痛感するようになりました。

さらに、作業療法士が子ども領域で働こうと思っても、就職先の数が限られている現状にも直面。これからの社会では、発達障害のお子さんを支援できるフィールド(たとえば学校や、市役所、少年院など)も広がっていくだろうに、「そこを担える作業療法士がいないと、職域や認知度がなかなか広がらない」という危機感を覚えました。

そこで、「ならば自分で起業して、そういう働く場を作ってしまおう」と決心したんです。子ども領域の作業療法士や、専門職が学びながら実践できる場所を用意して、より多くのご家族やお子さんをサポートしたい──その思いが、現在の「えんりっち」を形づくる原動力になっています。

えんりっちを開設してから改めて感じたのは、作業療法士一人だけでは支援しきれないということです。

療育や発達支援の場では、保育士や他の専門職の力が不可欠で、チームとして子どもにアプローチする仕組みが求められます。

医療機関でも「チームアプローチ」という言葉はよく使われますが、実際には職種ごとの役割分担が縦割りになりがち。

その壁を超え、互いの専門性をオーバーラップさせながら子ども一人ひとりに関わるというのは、やってみると難しい反面、とてもやりがいがあります。

この3年間、試行錯誤を続ける中で、保護者の皆さんからは嬉しい声をいただき、子どもたちの成長も確実に感じています。

その成長とは、ただ“何かができるようになる”だけではありません。

家族や友だちなど、誰かと一緒に経験を積む中で、人間関係の幅が広がったり、人を好きになる気持ちや「きっと大丈夫」という信頼感が育まれたり。

いわゆる非認知能力と呼ばれる部分が伸びているのを見て、「この施設を起業して本当に良かった」と心から思います。

専門性を深め、地域に還元する

茨木市を拠点に専門性の高い療育を提供しつつ、子どもの人格形成や家族支援まで視野に入れた発達支援、子育て支援の地域ネットワークをさらに充実させたいと考えています。

  • 難しさに踏み込める人材を育てる
    感覚統合など専門性の高い領域は学ぶハードルが大きいものの、「わからないけれど頑張ってみたい!」と意欲を持つ人が活躍できる場を作りたい。
  • 地域との連携を強化し、還元していく
    えんりっちを“学びの場”としても活用しながら、茨木市に必要とされる療育や支援を提供する企業へと成長させたい。

こうした取り組みを通じて、子どもたちの成長を支えられる場所としての役割をより一層強化し、多くのご家族に貢献していきたいと思っています。

えんりっちは、「縁をつなぎ、場をつくる」を理念に、人間関係(=縁)を広げ、子どもを取り巻く環境(=場)を整えることで、発達障害だからという枠を超えた包括的支援を行っています。

家庭や学校、地域社会といった環境での多様な生活体験が子どもの成長を左右すると捉え、作業療法士と保育士など多職種が協力し、“できる”を増やすだけでなく、人を好きになり、自信を育む非認知能力も重視しています。

発達支援だけでなく生活環境へのアプローチもできるよう、関係機関と連携しながら地域に根ざし、一人ひとりを支えていきます。

その結果、“何かができるようになる”だけでなく、人間関係の幅が広がり、社会の中で自分の居場所を見つけ、子ども自身が「きっと大丈夫」と思える心の土台を育む場所を目指しています。

さらに、専門性を深めながら地域の子どもと家族に寄り添い、笑顔を増やす取り組みに邁進していきます。